翔さんが取材し続けた被災地の10年 『Newsweek』の記事を読んで

2021年3月11日。

 

日本人にとって、生きていく上での価値観が大きく変わったあの日から、10年経ちました。

 

もう10年、まだ10年、人によって感じ方はそれぞれだと思うけれど、年月なんてものは区切れるものではなくて、9年も、11年も、"震災後"には変わりないわけで。

"10年"という時間自体には、大きな意味はないのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

それでも。

 

この10年で、私は中学生から社会人になりました。

テレビで流れている津波の映像を呆然と見つめていた一人の子どもは、10年経った今、医療現場で働いています。

いつ起こるか分からない災害に備えて、災害医療の研修も定期的に受けています。

 

あのとき何もできなかった自分が、少しは人を助けられる側(なんて言ったらおこがましいですが)に近づけているのかな、そうだと良いなと思いながら日々働いています。

 

 

 

 

 

 

今日、翔さんが寄稿したNewsweekの記事を読みました。

あの日の光景がフラッシュバックするような生々しい表現。どれだけ時間が経っても忘れられる訳がない。

 

 

 

当時、家族の安否を確かめてから、私はとにかく嵐5人の安否が気になって、心配で仕方がなかった。

最初に無事を伝えてくれたのはVS嵐のスタッフさんだったかな。そのあと公式からもメッセージが出て、ホッとして泣いたことを覚えています。

 

3月14日のzero。翔さんの泣き腫らした目。

あまりにも辛すぎて、もう録画は残していないのですが、あの時の表情も忘れられないです。

 

ものすごく葛藤して、あの場にいてくれたんだな……

翔さんは『僕なんかがコメントする時間があるのなら』って書いていたけれど、あなたが出てくれたことで気持ちが救われた人は絶対います。私がそうだからです。

 

 

zeroのキャスターであるのと同時に、ジャニーズのアイドル・嵐のメンバーである翔さんは、その立場ゆえに偏見にさらされたり、色眼鏡で見られたことも少なくなかったと思います。

"ジャニーズがキャスターをやってる"

それだけで斜に見る人もいるのが事実です。

 

それでも自分を『ずるい』と言い切れる強さ。どれだけの想いを背負って、報道に携わっているのか。

 

どんなに忙しくても、ライブがある日でさえzeroを休まなかった翔さん。

翔さんが報道にかける想いは私が考えているよりもっともっと強いんだろうな、想像しかできないけれど、文章を読んでそう思いました。

 

 

職業が『アイドル』だけなら、背負うことのなかった悲しみや、悔しさや、葛藤がたくさんあったと思います。

でも私は表紙に書かれた

文:櫻井翔 (嵐/news zeroキャスター)

の文字がとても誇らしく見えました。

 

アイドルである彼がキャスターを務めることの意義。

彼にしか届けられない視聴者がいる。

彼の言葉だから響く視聴者がいる。

 

翔さんのおかげでニュースを見るようになり、世の中の動きを知るきっかけを得ることができる。

選挙にも行く。若い人の声が大事って何度も伝えてくれたから。

 

 

翔さんが与えてくれた影響はものすごく大きいです。

いつも、その場に立ち続けてくれて、伝えてくれてありがとうございます。

 

 

被災地を10年間取材してきた翔さん

きっとこの先もその取材は続くのでしょう

 

 

私はこれからも翔さんが伝えてくれることを受け取り続けたいです。

この先の未来、世の中が明るくなるようなニュースを少しでも多く、翔さんが伝えることができますように。